「遠距離介護」取材経緯

なぜ遠距離介護のをテーマにしたの?

必ずというほど、聞かれる質問です。

幸い、京都の両親は健在です。私がこのテーマに足を踏み入れたのは、「取材」からです。

1993年ころ、グループわいふという会社から、高齢者の暮らしをテーマとした冊子の仕事がきました。それで、来る日も来る日も、お年寄りに取材をおこないました。まだ若かった私には、驚きでした。「お上の世話にはなりたくない」というお年寄りがおおいこと。寝たきりのお年寄りが、ひとり暮らしをされている現実。

以下、その取材過程で出会ったことです。(2007.2『訪問看護と介護』(医学書院)寄稿より抜粋)

あるとき、自治体の福祉担当の職員に連れてもらって東京都内のひとり暮らし70代の女性宅を訪問する機会がありました。

彼女は1級の障害者でもあり、寝たきりでした。

女性は私たちが部屋にはいるなり、こんな話をしました。

数日前、ベッドから落ちて動けなかった。隣人がみつけてくれるまで、落ちたままの状態でとても辛かった・・・。

寝たきりの高齢者がたったひとりで暮らしているという現実。

そのうえ、ベッドから落ちてそのままの姿で何時間も過ごしたことを想像するだけでこちらまで胸が苦しくなってきました。

私は、その自治体の福祉サービスについて取材したところだったので、その区では「緊急通報システム」が提供されていることを知っていました。高齢者向けは余裕がないものの、障害者向けのサービスにはまだ利用できる台数があることまで聞いていたので、差し出がましいと思いつつ、彼女に「緊急通報システム」の内容を説明したのです。すると彼女は「そんなにいいものがあるなら、ぜひ使いたい!ベッドから落ちても、それを押すことができれば助かります」と言って目を輝かせました。

ところが、同行していた職員が「でも、そのサービスはこちらのお宅では対象外です」と割ってはいってきました。理由を問うと、「こちらは、近所に息子さんがいらっしゃいますから、対象外なんです」といいます。

私は驚きました。

女性の息子さんが近所に暮らしていることは、職員から聞いていました。

が、さっき言ったじゃないですか。「理由あって、疎遠になっている」と。

それなら、息子さんがいても、いないのと同じです。

私は、心のなかで女性に向かって唱えました。「こんな理不尽な理由に負けないで。『そのサービスを使いたい』って言って」と。

ところが、私の思いとは裏腹に、女性は職員の言葉を聞いたとたん、「そうですか」と、ひとことも異を唱えなかったのです。あれほど目を輝かせたところだというのに・・・。

からだの不自由な人というのは、必要な情報になかなかめぐり合えない。やっとめぐり合えても、「言われるまま」なんだ・・・。

その後も取材を続けながら、割り切れない思いが続きました。高齢化時代が来るといわれているのに、当事者であるお年寄りの声は置いたまま。

私自身、4人の親と疎遠ではないものの、遠く離れて暮らしていました。4人の親たちの心身が衰えてきたとき、彼らは彼らにとって必要な情報を得たり、利用したりできるのだろうか・・・。取材を通して出会った独居や高齢者だけの世帯のお年寄りの多くも、聞けば離れて暮らす子はいる場合が多いのです。

少子高齢化、核家族化の影響で、今後ますますお年寄りだけの世帯や独居が増えていくことは間違いないでしょう。

「情報不足」「言いたいことを我慢」の親世代に代わって、私たち離れて暮らす子ができることがあるのではないかと考えはじめました。

食事やトイレの介助は、普段傍に居られないからおこなえないけれど、情報を集めたり、親に代わって親の言いたいことをサービス提供機関に伝えたりすることなら、遠距離の子にもできるはずだと。

1996年、離れて暮らす親のケアを考える会「パオッコ」を設立しました。